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  • #9

    山本善二朗 (月曜日, 21 8月 2017 19:11)

    愛さん
    いつもコメント遅くてすみません
    観月際は 10月7日 8日に決まったようです。
    違う演出が出来るよう頑張りますので
    今後とも宜しくお願い致します。

  • #8

    (日曜日, 06 8月 2017 15:17)

    こちらこそ返信遅れてすみませんm(__)m
    掲示板に反映されなくて、二度もコメントしてしまいました(^_^;)

    観月祭毎年楽しみにしています^_^
    こちらこそよろしくお願い致します。

  • #7

    山本 善二朗 (土曜日, 29 7月 2017 19:38)

    愛さん
    昨夜コメント見ましたが、出張先でうまくログイン出来きず
    返信遅れ申し訳ありません。
    御所車は今年も宗一郎くんを筆頭に数々の皆さんに支えられ
    今年も無事につとめる事ができました。
    感謝しているのはこちらの方です今後とも宜しくお願い申し上げます
    次は9月末の観月祭への参加です。
    違った雰囲気の御所車を見ることが出来ると思います
    是非足をお運びください!

  • #6

    (金曜日, 28 7月 2017 21:15)

    宗一郎の妹の愛です^ ^
    HP拝見しました。
    兄のことが書かれていて、びっくりしました^ ^
    亡き兄も喜んでいると思います。
    ありがとうございました!

  • #5

    (金曜日, 28 7月 2017 21:02)

    HP拝見しました^ ^
    亡き兄の妹の愛です。このようなHPを作っていただき、感激で胸がいっぱいです!
    兄も喜んでいると思います。
    ありがとうございました!

  • #4

    山本善二朗 (日曜日, 03 7月 2016 23:37)

    TOKU様
    貴重な情報有難う御座います 
    昔はかなり血気盛んだったんですね広小路の花山のや
    本町御所車・たいこ山の一件、 読んでて鳥肌が立ちました(いやな意味で)
    広小路の花山の屋根のある姿や たいこ山の昔の姿を見てみたいものです

    雨天にて途中で帰った件は覚えています。
    昭和57年のことですね(記載あり) そのころ広小路の顔とも言える方が
    元気でした。なつかしいです

    25年については役付きの記載はあるが出来事の記載がありませんでした
    翌26年欠場なのか記録がなく27年から記載されいます。「仲町組役割帖閲覧」に
    記録を添付します。(7月5日までに)

    7月2日 探し物があったので御所車車庫の棚を確認していたら
    お祭りのお知らせが出てきたので 添付しておきます
    (7月5日までに)

    その他 思い出したら何でも書き込んでください!。

  • #3

    TOKU (日曜日, 03 7月 2016 13:16)

    山本善二朗様

    コメント有難うございます。
    訂正と追記をさせて頂きます。
    城の鼻の御旅所の最終年は、昭和44年の間違いでした。
    昭和45年は、城山入口の広場(市民病院前)で行い、杵築神社が御旅所になったのが昭和46年からでした。
    本町御所車と広小路花山の喧嘩も、城の鼻御旅所最終年なので昭和44年となります。
    この喧嘩、御上り時に広小路電報電話局前で六軒町から来る錦江太鼓山を挟み打ちににしようとぶつけに行った所を太鼓山がかわし、そのまま本町と広小路の両山が激突し、その勢いで最後は人間(引き子)が道具を持ち出しお互いの山車を壊すという。。今では考えられない激しいものでした。両町の山車の上半分はほとんど無くなり、本町は翌年から約20年間お供辞退となりました。それでも広小路は翌年屋根をビニールシートにして出場しておりました。(屋根が無くなってからの広小路は、上が軽いせいか左右に滅茶苦茶に揺らして。。通りかかったバスにぶつかった事も有りました)
    そう言えば昭和50年頃に御下りの途中で大雨で途中打ち切りとなった時に、仲町が広小路を通らずにそのまま帰町した為、広小路が怒って仲町の倉庫前まで追いかけて来て揉めた事も有りました。

    仲町の御所車については、昭和25年に、やはり御上り時、城鼻田川前にて本町御所車が仲町御所車に対し、後ろから激突し仲町御所車は、大破し動かす事が出来なくなってしまいました。本町と仲町の紛争/協議も時間がかかり、他町の仲裁でようやく(2時間以上)納まりました。
    当方、見た訳では無いですが、片方の車輪が大破したと聞いております。仲町組の祭礼記録が残っているので有れば、是非確認されてみて下さい。

    あと仲町のお隣りの紺屋町組鉾の記載がサイトには有りませんが、毛槍組ほど乱暴な態度は取りませんでしたが、この鉾、なかなか動かず、ご神幸が遅延する最大の原因となったと言われています。残念ながら昭和21年の仲町大火により鉾その他一式を全て焼失し、翌年から再開された(戦時中は中止)天神祭に御供出来なくなりました。

    最後に昭和30年頃の御供参加の町とご神幸の順番を記載します。
    毛槍(魚町)、本神輿、お鉄砲(六軒町)、台弓(北新町)、随身(西町)、獅子こま(弓町、札の辻=戦前は山鉾)、三種の神器(北祇園)、錦旗(南祇園)、元宮神輿(据場)、御所車(仲町)、御所車(本町)、花山(広小路)、梅山(上町)、松山(西新町)、飾り山(錦城)、太鼓山(錦江)

    また、何か思い出しましたら記載させて頂きます。

  • #2

    山本善二朗 (土曜日, 02 7月 2016 20:49)

    TOKUさま
    コメント有難う御座います!
    HP管理者でありながら日が浅い為返信方法が分からず
    遅れて申し訳ありません。
    さて、貴重な情報有難う御座います
    城鼻へのお下りは、私の幼いころの記憶になくすごく貴重な情報です
    昭和30年代から50年までは色々な出来事があったのでしょうね
    ぶつけ合いの喧嘩の際に ギャラリーが混ざってきて山車を壊す
    と言う話を親父から聞いた事を思い出しました。
    まだまだ知らない事を教えて頂きたく情報やお写真など
    お寄せ頂けると助かります。
    尚、新しい情報は随時更新していきます
    (資料は更新しました)。



  • #1

    TOKU (日曜日, 26 6月 2016 16:55)

    HP拝見しました。最近は、仲町の御所車が御供辞退となっており、寂しい思いをしていました。確か、今の御所車は安政年間に造られた一番古い山車と記憶しております。戸数の減少でなかなか大変とは思いますが、是非復活される事、期待しております。添付PDF資料の記載の中で本町組御所車の事が有りましたが、昭和30年代に他町との喧嘩により一時期御供辞退と有りますが、昭和43年、広小路組との喧嘩と記憶しています。この年が城の鼻御旅所最後の年でした。本町も広小路も山車の上半分が無くなる程の激しい喧嘩でした。昭和30年代初頭、御所車どおしがぶつかった事も有ったと記憶しています。この頃は、だんじりどおしもぶつけたり、毛槍も他町と毎年のように喧嘩してましたから、全体的にかなり豪快で男らしい祭でした。。。最近は、すっかり大人しい祭になってしまいましたが、これも時代の流れなのでしょうか。。。
    最後に錦江区の太鼓山は、昭和40年代の後半に喧嘩で壊れ燃やして消滅しております。

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